dadlog

父親業で役だったこと、感じたこと、モヤっとしたことを記録します。

育児を半分以上担ってみて、楽しめるようになった

両親の家事分担を見ていて嫌だったこと

仕事人間の父と専業主婦の母という両親だったので、

子育てと家事はほぼ完全に母の仕事だった。

 

私も大きくなり、母も働きに出るようになり、

それでも家事はずっと母の仕事だったが、

少しずつ「お父さんも手伝ってよ」が増えてきた。

 

それはそれでいいのだが、

父が洗い物をすると、「洗い方が違う」

父が洗濯物を干すと、「干し方が違う」。

 

両親は別に仲が悪かったわけではないと思うのだが、

こういうやりとりを見るのが嫌だった。

 

自分たちに子供が産まれてみて

上の子が産まれて1ヶ月くらいは妻の実家にいて、

私の子育て負担はゼロ。

妻子が家に戻ってきてもはじめはあまりすることは

なかったような気もする。

寝かしつけとおむつ換え、入浴を交代で、だろうか。

寝かしつけながら授乳、ということも多いし

何より私が夜に弱いので、寝かしつけは妻の方が

多かっただろう。

 

やがて妻が職場復帰して、保育園に通い出し、

さらに混合乳や離乳食がはじまると、

私の役割も少しずつ増えたように思う。

 

母乳は妻の役割なので、ミルクは私が作る方が多かった。

離乳食作りは妻ががんばっていたが、大人の食事から

ちょこっと取り出して作れたりするようになると

私の役割も増えた。

 

 

子供が通常食になってから

私の仕事が、出張多い+その他は比較的時間の融通効く

というものなので、その範囲内でできることが増えてきた。

  • 早起きの子供たちに付き合って起きる~朝食作り(私の方が多い)
  • 保育園へ送り(夫婦で一緒に行く日の方が多いか)
  • 保育園から迎え、夕食作り、風呂、寝かしつけ、その他(夫婦で交代で分担)
  • あとは適当にその場で気づいた方がやる(誰もやりたがらないと放置ということも)

やりたい人がやる、という感じで何となくこういう分担に

なってきた。自分がやれることをたくさんやる、という

流れができてきて、子育ても家事もなかなか楽しくなってきた。

 

大切なのは「やった人がえらい」ということ

「やりたい人がやる」方式のいいのは、やりたい人が自分のやりたいように

できることかな、と思う。やればやるだけ、決められる範囲が増えていく。

 

細かいことだが、食器の置き場所も、普段料理を多くやっている人が

決めた場所に自然に決まっていくものではないだろうか。

食べたい料理も、作る人が決めることが多いだろう。

(子供たちはそれでも「カレー!! カレー!!」と言うのだが)

 

もちろん、夫婦でよく話し合って、きっちり分担を決められる人は

それでいいに違いない。育児も家事も完璧にしたいのであれば、

どちらもやらないで残っている作業がないように、事前に決めなければ

ならないのだと思う。

 

私自身がかなりいい加減な上に、両親がそうだったように

指図されたりしながらやりたくない、などと思っている。

夫をイクメンに育てているみたいなことを言われたら発狂

するかもしれない

(こういうことは実際には言われてないのだが)。

こういう私には、今のやり方は向いている。

 

社会と家庭内での役割のギャップに疲れるくらいなら

外で働いていて、それなりの役割もあり、自分でいろいろ決めて

仕事をしている父親が、家事になると細かいことをたくさん

指図されたりするのは、精神的になかなか大変なのではと思う。

 

その上、「僕だって手伝ってるよ」なんて言ってしまって

手伝うって何なのよ!子育ては夫婦の仕事でしょ!!」なんて

言い返されてしまったらしょんぼりしてしまう。

 

それだったら、できる作業はむしろ半分以上担ってみる方が

自分で自由にできるし、結局楽なのではと思う。

同じ作業を長く関わることで見えてくることも多い。

 

下の子が一生懸命食べる様子を見て、上の子がちょっと

刺激を受けて、残そうと思ったものを最後にかき込んだとか、

登園したときにいつも先生に甘えていたのに、

突然ある日から自分で支度をはじめたとか、

そういう些細な変化をいつも見られるというのは楽しい。